かつて、日本のコンピュータ技術を、たった一つの技術にまとめ上げようとする計画があった。
「Σ(シグマ)計画」
Σとは、統合を表す。
官僚による、コンピュータ技術の統合。
しかし、
通産省の主導の元、総額250億円にのぼる国家予算を費しながら、コンピュータ技術の発展になんの功績も残さず、計画は水胞に帰した。
これは、膨大な国家プロジェクトの、失敗の物語である。
プロジェクト×(ペケ) −失敗者たち−
「Σ(シグマ)計画」
「庶民にとってコンピュータは遠い存在だった」
「すり替えられた目的」
「はびこる腐敗」
「ロースペックに敗けた」
「口を閉ざす人々」
「闇に葬られたプロジェクト」
1984年
通商産業省。通称、通産省の役人が、一人の男の元に訪れた。
岸田孝一。
当時、まだ珍しかった独立系(どのハードメーカーにも属さない)ソフトウェア会社を興した男である。
やって来た役人は、岸田に切り出した。
「通産省では、ソフトウェア産業の発展のために、国家事業を興そうと考えてます。なにか、良いアイディアはありませんか。」
岸田は、率直に自分の考えを述べた。
「ソフト開発に携わる者が自由に利用でき、技術や情報を交換できる全国的なネットワークを整備するというのはどうですか。」
岸田の頭の中には、アメリカのソフトウェア業界がモデルとして、あった。
アメリカのソフトウェア開発は、在野のプログラマ達の、相互の積極的な情報交換や交流によって、活発化していた。
一方日本では、まだ、ソフトウェアはハードウェアのおまけでしかなかった。
ソフトウェア開発者はハードウェアメーカーの社員であり、自社のハードウェアを効率良く動かせるソフトウェアが作れれば、それで、良かった。
「研究者同士、開発者同士の横の交流や、切磋琢磨し合える環境ができれば、日本のソフトウェア技術は、より発展するはずだ。そういった、草の根運動の手助けになるようなプロジェクトが、できないだろうか?」
それが、岸田の考えたことだった。
1985年冬、通産省により新しいプロジェクトが興された。
それは、一見、岸田の願ったもののように見えた。
「Σ(シグマ)計画」
それが、プロジェクトの名前だった。
Σとは、総和を表す記号。
日本の技術の総和を生み出すプロジェクトとして、そう名付けられたこの計画は、やがて、岸田が望んだものとは大きく違う姿を見せていくのだった。
通産省による具体的なプランニングが進むにつれ、メインフレーム(大型のコンピュータ)コンピュータなどのメーカーがプロジェクトに参賀し、あからさまに、これを牛耳ろうとし始めた。
通産省も、それを黙認していた。
ハードウェアメーカーと通産省の間には、長年に渡って築き上げられてきた強力なつながりがあったからだった。
メインフレーム・メーカーは、こぞって自分達の時代遅れのシステムを、Σの標準仕様として設定するよう働きかけた。
通産省は、大規模なΣの情報センターを東京にだけ建設することを決めた。
岸田等がそれを知った時には、そこに4台のメインフレーム・コンピュータが設置されること、そのメーカーまで、全て決まっていた。
岸田を始め、アイデアの立案に関係した技術者達は、怒った。
「もっとも、通産官僚の頭の中では、それほど矛盾は無いかもしれません。何回か議論していてわかったのですが、彼らは、メインフレーマー(メインフレーム・メーカー)のソフト部門こそが日本の情報産業の中核であり、そこに蓄積された”優れた技術”をまだ”脆弱な”ソフトウェア・ハウスに移転することが必要だと、かたくなに信じているのですから。」やがて二つの立場は、激しく対立した。
ソフトウェア業界の技術者は言った。
「Σは、本質的に技術思考のプロジェクトだ。開発成果の商業的な成功もだけでなく、それを作り上げて行くプロセスを通じて、業界内部のより高い技術への移転を加速させることの方が重要だ。」
ハードメーカーから来た技術者は言った。
「いや、研究開発の色合いは極力排除し、ソフトウェア技術者が、それを使えばただちに開発生産性が向上するようなシステム(ツールやネットワークやハードウェア)を作り、それを販売・流通するネットワークの構築こそが重要だ。」
通産省は、後者の立場を採り入れた。
岸田は、プロジェクトから降りた。
ある日、Σ計画の勉強会がとあるビルの一室で行われた。
当時、入社したての技術者だった藤本裕之。
同僚とともに、これに出席した。
あぜんとした。
「ともかく虎ノ門だか霞ヶ関だかの会場に着くと,オレたち以外はみんな偉そうなヒトなので驚いた。言ってはなんだがダブルの背広着て扇子で自分をあおいでるシラガの爺さんまでいるもんだから,田舎の選挙かと思ったね。で,そういうヒトたちはみんなかねてよりの知り合いらしく,ワキアイアイ,アイマイモコモコと談笑してる。オレとコンドー君だけまるで異物,ジャジャ丸とピッコロの着ぐるみを着て宮中晩餐会にいるみたい。誰も話しかけてこないんだけど,みんなが目から「ナンデアンナヤツラガイルンダ光線」を撃ってくるんである。」やがて、勉強会が始まった。
若い、通産省の役人が、Σ計画の説明を始めた。
「来るべき、ソフトウェア技術者不足に確実に対応するための、計画だ。」
男は、しばらく計画について話し、帰った。
昼食後、再び勉強会が始まった。
司会が言った。
「では通産省のセンセイもお帰りになりましたので,われわれはお金になるビジネスの話をいたしましょう」
参加者の目が輝き始めた。
そこから始まったのは、どんな企画を出せば、通産省から「Σ関係」名目で予算を絞り取れるかという話だった。
藤本と同僚は、呆れた。
やがて、Σ・ワークステーションのモデルとして、SystemV系のUNIXワークステーションが引き出されてきた。
藤本と同僚以外、それに興味を示す者は、いなかった。
そうして、勉強会は、終わった。
藤本と同僚は、帰り道、どちらとも無く言った。
「この計画は、失敗だ。」
この想いは、現場の技術者達が、皆考えたことだった。
「だってだぜ。この計画はおどろくなかれコンピュータはこれ以上進歩しない,という前提に立ってたのだ。とまれ,Σ計画の眼目は「ソフトウェアの部品化とその集中管理」にあった。全国の「Σ・ワークステーション」で作られたソフトの部品を通産省内に構築する予定だった巨大なサーバで一元管理,供給する。昨日高校を出たばかりの青少年でもその部品を電子ブロックみたいに組み合わせてプログラムが作れます,プログラマーは「工員」みたいなもんになります,ほおらソフトウェア技術者は足りなくなりませんよ,とこういうわけだったんだ。」「この計画ではそういう「部品」としてのソフトウェアは通産省のホストに自然に集まるみたいな話だった。どこのバカが自分の作ったソフトウェアを,それを部品として使う将来の商売敵のために無償で提供するのだ? 通産官僚は出世する,ハード屋はシグマ・ワークステーションを作って売る,汝プログラマー飢えて死ね,あとで部品の組み立て工として安い賃金で雇ってやる,という計画だったのである。」
Σの名を冠するソフトウェアやハードウェアが、次々販売され始めた。
そのどれもが、現場の技術者達の不評によって迎えられた。
だが、企業の経営者達は、”Σ”の名を、盲目的に、信じた。
販売が始まった時、それは、既に時代遅れだった。
ほどなくして、それは、前時代の遺物となった。
こんなことがあった。
あるソフト会社がΣ関係のソフトウェアの開発を依頼された。
散々苦労した上で出来上がったソフトウェアは、余りに低速だった。
だが発注した企業は、Σの名と、とりあえず動いたことに満足し、高速化を進めるように言ってきた。
ソフト会社はさらに試行錯誤を繰り返し、やがて、こう結論を出した。
「Σを使わず、他の普通のコンピュータを使えば、100倍早くなる。」
Σの名を冠するものと、普通に流通しているコンピュータの格差は、そこまで開いていた。
やがて、Σの名を付けても、商品が売れなくなった。
ある会社の販売部長は部下に檄を飛ばした。
「地方だ。地方なら、Σはまだ売れる。」
また、ある会社の企画担当は言った。
「今なら、競争相手も減った。Σの名で予算を獲得するチャンスだ。」
その最盛期、あらゆるメーカーがΣの名を製品につけたがった。
数年後、あらゆるメーカーが、製品の名からΣの名を、外した。
失敗は、あまりに明らかだった。
だが、通産省と全国のメーカー、技術者を巻き込んだプロジェクトだったから、それを公表することは、危険だった。
Σは、その後長い間人々の禁句となった。
1990年12月21日号の日経コンピュータ誌。
こんな特集が組まれた。
「Σ計画の総決算—250億円と5年をかけた国家プロジェクトの失敗」
1984年に企画され、始まった一大プロジェクトは、こうして失敗した。
その後の「Σ計画」
2000年春。
通産省は、「未踏ソフトウェア創造事業」というプロジェクトを始めた。
毎年、8月を〆切として企業ではなく、個人、あるいはグループのソフトウェア開発の企画を募集し、それに対して援助するという事業だ。
国が進める「IT革命」絡みの事業であった。
それに飛びついた者の多くは、かつてΣ計画に飛びついたメインフレーム・メーカーのように、いかに予算を絞り取れるかだけに興味を抱いた。
プログラマ達の質問に対し、通産省の役人はしどろもどろだった。
状況は、大きくは変わっていない。
だが、その説明の文章の中で、通産省は、Σ計画が失敗であったことを自ら認めた。
Σの失敗が、生かされる可能性がでてきた。
今年の募集は2月以降に始まる。
2001/2/26
– 「Σ(シグマ)計画」プロジェクト×(ペケ)(Source: petapeta)
Via MCSG SYM富士通、余剰SE変身作戦
富士通がグループで抱える約3万人のシステムエンジニア(SE)の大がかりな職務転換に乗り出した。一つのシステムを複数の企業などが利用するクラウドサービスがこのまま普及すれば、顧客の要望を聞いて個別システムを作り込むSEは仕事がなくなり、余剰人員問題が顕在化するからだ。野副州旦元社長の急進的な改革路線を修正した富士通はSE余剰問題で軟着陸を目指すが、クラウドの奔流にのみ込まれる危うさもはらむ。
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私が読んだ本の中で、はっきりとKJ法に反旗を翻しているのが立花隆氏と野口悠紀雄氏のお二人です。 立花隆氏は『「知」のソフトウェア』の中で、「KJ法は役に立たない」と明言した見出しをかかげられています。野口悠紀雄氏もその内容を引きながら、『「超」発想法』の中で、KJ法は発想の能率を低下させかねないと懸念されています。 ただし、どちらの意見でも、原理そのものが否定されているわけではありません。 一例として『「知」のソフトウェア』から引けば、 KJ法の原理は非常に重要なことだということはわかっていた。しかしそれは、別に川喜田二郎に教えられるまでもなく、昔から多くの人が頭の中では実践してきたことなのである。別に珍しいことではない。 と書かれています。 簡単に要約すると、「頭の中でやっていることを、いちいちカードでやるなんて非効率じゃないか」となるでしょうか。この指摘には説得力が感じられます。 問題があるとすれば、頭の良い(と呼べる人)にとってはこのような作業が比較的簡単にできるとしても、凡人(と呼べる人)にとってはそうではない、ということです。
「東京?」って言うと、「品川」って言う。
「新横浜?」って言うと、「名古屋」って言う。
「京都?」って言うと、「新大阪」って言う。
こだまですか?いいえ、のぞみです。
– http://bipblog.com/archives/2920745.html省略記法(def)
メソッド定義全体にかかる場合はbeginとendを省略できるようです。
def some_method
begin
# …
rescue
# …
end
end
def some_method
# …
rescue
# …
end
else, =>, ensureなどその他の文法も問題なく使えます。
省略記法(後置)
ifなどと同様、rescueでも後置記法ができます。
begin
# (1)
rescue
# (2)
end
に対応して
(1) rescue (2)
とします。 種類を指定して受けることはできませんが、特殊変数 $! によって捕まった例外を表すオブジェクトを参照できます。
村上:書かない。もう少し書きたいと思っても書かないし、八枚でもうこれ以上書けないなと思っても何とか十枚書く。もっと書きたいと思っても書かない。もっと書きたいという気持ちを明日のためにとっておく。それは僕が長距離ランナーだからでしょうね。
– 村上春樹ロングインタビュー - 勇気と想像力、そして少々のお金



